訪問診察エピソード

39.介護者諸相(1)

 今の介護保険制度は、1997年頃の議論では介護の社会化といった理念が語られましたが、紆余曲折の後、家族介護を前提にした制度となりました。それは、同居の家族がいるとヘルパーによる生活支援が制限されるといったところに端的に表れています。さて、今回はその家族介護の担い手の介護者のお話です。

  岩下みのりさん(仮名)は、75歳で亡くなられました。当院から16年間にわたり訪問診察にお伺いしましたが当院で最も長く訪問した方です。岩下さんは、35歳より高血圧があり52歳で脳梗塞を発症し左片麻痺を呈しました。その後再発があり通院困難ということで訪問診察が開始になりました。岩下さんは妻との2人暮らしです。子供さんはいず、いつも犬と一緒に暮らしておられました。妻は岩下さんより5歳上の姉さん女房です。妻が飲み屋をしていたときに常連だったのが岩下さんで縁あって結ばれたと聞きました。私たちが訪問すると、妻は丁寧に応対されますが、いろいろ話をしていると岩下さんに対してぐさっとくる言葉を投げつけます。「こんな障害のある男と結婚しなければよかった」などと私たちはどう!
フォローしていいかどぎまぎします。しかし、飼い犬の「あいちゃん」は「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」ということわざどおり、そ知らぬ顔です。あるとき「あいちゃん」の先代が車にはねられて死にました。その後訪問したときに「あんたが死ねば良かったのに」と妻が言ったときは本当に凍り付くような感じがしました。岩下さんは、少し哀しいような苦笑いを浮かべ黙っておられました。岩下さんには訪問看護もはいっていましたが、その報告書にも「岩下さんに言葉荒く攻撃したりしていました」という記載がありました。比較的若くして障害を持った夫を抱え、収入に不安があり、頼るべき子供がいず、夫が徐々にADL低下していく中で介護量が増えていくなど、さまざまな要因が重なっての葛藤のなせるわざと私たちは理解しようとします。何年も何年も、毎日24時間一緒にいるなかで2人の中に形成される人間関係は、回りのものには理解できなくて当たり前だとも思います。言葉による暴力だといわれればその通りですが、私たちのできることは何かを考えながらの訪問です。

  訪問診察の空気を和ませてくれるのはワンちゃんです。私にもずいぶんなつき、往診車で到着するとその音で興奮しぐるぐる家の中を走り回り,玄関を開けるとぴょんぴょんと飛びついてきます。その様子を見ている、妻も岩下さんもにこにこです。ワンちゃんに感謝感謝です。ご褒美にジャーキーをあげたり、写真を撮ったりして感謝の意を表します。
 独居になった、妻は認知症が徐々にあらわれ何らかの医療の介入が必要と判断され、訪問診察に行くことになりました。妻は転倒して大腿骨頸部骨折をおこして,家に帰ることを望みつつ、特養に入られました。ご自宅の近くを通ると無人となった家をみて2人とワンちゃんを思い出しています。

38.この頃多くなったもの、少なくなったもの

 訪問診察では当然のことながら、市内をあちこち車で移動します。そうすると最近増えたなあと感じたり、逆に減ったなあと思うものがあります。ここ、10年間くらいで増えたなあと思うのは、セレモニーホール・携帯電話販売店・コンビニエンスストア・回転寿司などです。逆に減ったなあとと思うのは、ガソリンスタンド・電話ボックス・小僧寿司などです。それぞれに世相が伺えます。

 セレモニーホールの増加は、まさに多死の反映です。厚生労働省の人口動態年間推計で、2009年の国内の死亡者数は114万4千人で、戦後統計をとり始めた1947年以降最多となったそうです。今後は170万人程度まで増加していくことが予測されています。金沢市をみると死亡者数は1980年2401人が1997年3003人が2007年に3619人と増加しています。10年間で1.2倍の増加ですがセレモニーホールはもっと増えている印象です。葬儀の場所が変わってきたこともあるのでしょう。

  携帯電話販売店の増加と、電話ボックスの減少は裏表です。

 コンビニエンス・ストアの増加も著しいものがあります。ある時間帯に行って、期限切れのおにぎりなどを捨てているのをみて、便利と引き替えに資源を浪費しているなと感じましたが、便利さを提供されると利用してしまうように社会が作られています。

 ガソリンスタンドの減ったのは、燃費の良い車が多くなったためでしょうか。安売りで競争力のないスタンドが廃業した面もあるでしょう。

 小僧寿司は、高嶺の花だったお寿司が庶民に安く手に入るということで一時期はあちこちあったものですが今ではほとんどなくなっています。少し値段が高くてもよりおいしいものをということなのでしょうか。これと裏腹で回転寿司は増えています。

 訪問診察と関係ない話が続いていますが、訪問診察にまつわる話で最近減ったものの話のイントロダクションでした(長すぎる)。以前のこのシリーズで老人と海→老人と犬→往診と犬の話を書きましたが、最近はたと気づいたのがお伺いしているお宅で犬を飼っているところが激減していることです。往診車に積んであったジャーキーという犬のえさは出番がなく、完全にひからびてしまい、犬年齢早見表も全く使わなくなってしまいました。なぜ、飼い犬が減ったのでしょうか。私の担当しているお宅のみならず、他の先生のところも同様のようです。偶然ではなさそうです。無論、有料老人ホームやグループホームなどの居住系施設にはペットはいませんからそこが増えたためという推測もなされますが自宅での犬が減っていることに間違いありません。私は、これは在宅介護力の低下と同一線上にあるのではと考えました。独居の高齢者、老老介護がふえれば当然犬を飼う余裕はありません。「往診と犬」という話が、過去のものになりつつあることにあらためて驚いています。超高齢社会の動きは予測以上に早いものと思われます。

37.いわゆる「死に目」(2)

 二野繁さん(仮名)は、頬粘膜癌というめずらしい癌に冒され、大病院で動注化学療法や放射線治療などを受けましたが、副作用の強さなどもありそれ以上の積極的治療を望まず在宅生活をおくることになりました。当初は、他の医療機関に通院して、疼痛管理などの投薬を受けていたのですが、体力の低下のため通院困難をきたすようになり訪問診察が依頼されました。訪問しますと、インテリジェンスの高い方で、近藤誠著の抗がん剤の副作用の本などを読んでおられました。また今までの経過を文章にきちんとまとめてくださっていました。頬粘膜癌のため開口制限があり発声が困難なため筆談でのコミュニケーションになりました。1時間ほどかけて本人の症状や訴えを把握しそれに対する治療方針の説明をしました。妻との2人暮らしで娘さんが2人おられ、長女さんは金沢在住、次女さんはアメリカ在住でした。妻のことを「メッチェン」と呼び(学生時代に聞いたことがある単語)自身が亡くなった後の妻のことを心配しておられました。また根っからの平和主義者で、「戦争私論」という著作を書いておられ生きている間に完成させたいと強い願いを持っていました。幸い著作は亡くなる前に完成し本人はもう思い残すことはないと筆談でおっしゃっていました。妻のことも金沢在住の娘さんに託すということで安心されたようでした。

 当初は開口制限があるもののお刺身などを経口摂取できていたのですが、その後開口制限が急速に進み飲水も困難になってきました。癌による食欲低下ではなく開口制限による食事摂取不良なので胃瘻を進めましたが本人はこれ以上はしたくないとの意思表示でした。高カロリー輸液も希望されませんでした。次女さんはアメリカで作業療法士をしていたのですが一時帰国されました。12日間の滞在です。次女さんに病状説明し二野さんに胃瘻をするように話をお願いしたところ二野さんも了承されました。経鼻内視鏡下で胃瘻造設を日帰りですることになりました。当日は、アメリカのビザとの関係で当面日本に再帰国できない次女がアメリカに戻る日と重なりました。帰りの電車の時間ぎりぎりまで胃瘻をお願いした病院で父親と一緒にいたのですが、ついに時間がきて娘さんは父親に別れを告げて廊下を去っていきました。廊下を曲がると本当に永遠の別れになるかと思ったら、私は思わず次女さんの名前を大声で呼んでいました。振り返った次女さんがもう一度手を振り本当に本当に最期の別れをしました。

二野さんが亡くなられたのはその61日後でした。次女さんは死に目には当然会えなかったのですが、十分なお別れをしたのだと思っています。心残りは当然あったでしょうが死に目に会えない「覚悟」の別れはできたと思いました。 

 二野さんの辞世の句です。「あの青さよ、我が屍をゆだねて、心安らわむ、空の色かな」

36.いわゆる「死に目」(1)

 訪問診察にお伺いしていて、在宅で看取りをされた方の中で患者さんが「息を引き取る」場に医師が居合わせることはほとんどありません(私の経験では)。家族や訪問看護ステーションから「呼吸が止まりました」と連絡を受けてから訪問し死亡を確認することがほとんどです。あらかじめ予測されていた場合は、夜中に息を引き取っても朝になって連絡してもらう場合もあると言っている在宅医もおられます。一度だけ自宅で家族・看護師・ヘルパーとともに息を引き取るまで2時間ほどそばにいたことがありましたが例外的です。つまり、いわゆる「死に目」に在宅で医師が立ち会うことはほとんどありません。今回は,長男さんがアメリカから父親が危篤だということで帰国するも、仕事の関係でアメリカに戻ったその日にお亡くなりになりすぐとんぼ返りとなったお話です。

 脳出血後に私の外来に通院していた大原正義さん(仮名)が、甲状腺癌が見つかったのは64歳の時です。甲状腺右葉切除をうけました。その後再発が判明しましたが、本人は手術を拒否し、何度も説得した後73歳の時に頸部リンパ節郭清と、甲状腺亜全摘術を受けられました。がその後再び頸部リンパ節転移巣が増大していきました。この間、甲状腺癌の手術をうけた他院の外科に通院していたのですが、74歳より再び私の外来に通院するようになりました。頚部リンパ節はその後も増大していきましたが本人になんど手術を勧めても拒否されていました。何とか外来通院していていましたが75歳の時に脳梗塞をおこし右片麻痺が出現し通院困難となったため訪問診察が開始となっています。

 大山さんの頚部リンパ節はどんどん大きくなり両側頚部が累累と腫大してきました。大きいものは握り拳大になりました。写真撮影をして、以前通院していた外科医に相談しましたが手術は困難と言われ、妻と娘にその旨を話し、本人の意向もあるのでそのままで様子を見ることになりました。CTだけなんとかとると喉頭や咽頭にも転移がありました。今後おきることとして、腫大したリンパ節の表面の皮膚が自潰する可能性のあること、喉頭の腫瘍が大きくなると呼吸困難になるかもしれないことなどをお話ししました。徐々に食事がとれなくなってついに自潰もおこしてしまいました。長男さんはアメリカのシカゴに赴任しており都合をつけて帰ってきたのですが(ちょうどお盆すぎだった)滞在期間は1週間でした。病状を説明しましたが、ながくはないことは間違いないし、すっと逝くこともあるということしか言えません。アメリカに帰る日になり当日も長男さんとお話をしました。いつまでもつかについては同じ話しかできませんが、「死に目」に会えなくても十分の別れをされたのでそれでいいと思いますよとお話ししたあと、長男さんは帰って行かれました。しかし、アメリカに着いたまさにそのときに大山さんは息を引き取られました。家族からの連絡で息子さんはとんぼ返りで戻ってきました。

35.もうしょうがない、猛暑                     エアコン 2010年9月

 この記事が載っているときは9月半ばで残暑もなくなった頃でしょうが、猛暑の中で書いています。今年の夏は異常な暑さでした。患者さんの診察時は、開口一番「暑い日が続きますね。ばててませんか?食欲は大丈夫ですか?」と決まり文句のように聞きます。

 日陰ではないところに駐車した車に訪問診察を終えて乗り込むときの暑さと、エアコンのないお宅に訪問するときの暑さがこたえます。太陽で暑くなった車に乗り込むと、エアコンを目一杯作動させます。次のお宅につく頃になってようやくひとごこちがつきますがおりるとまた「アジジ」です。到着時には日陰がないかと探しそこに車を止めるようにしていますが案外と日陰は少ないもので炎天下に駐車することになります。

 エアコンがあるのに使っていない本山かどきさん(仮称)のお宅に訪問すると、室内は外とほぼ同じ気温です。エアコンのきいた往診車から降りて部屋に入るとじわっと汗がにじんできます。患者さんも額に汗を浮かべています。エアコンのリモコンに手が伸びそうになりますが、寒いと体の調子が悪いのでエアコンを入れていないといわれそのままです。寒くなるほどエアコンをきかさなくても少し涼しい程度にすればどうかと思いますが、自分の部屋はおろか、家人のいる居間までもエアコンを入れさせません。お嫁さんも半分怒り半分あきれ顔です。食欲は落ちていず、水分もとっているというので様子を見ることになります。

 エアコンのない吉山絵美さん(仮称)宅に訪問すると、家人は窓や、玄関、そして裏の戸をすべて開け放っています。少しでも風通しをよくして涼しくしようということなのですが、部屋にある寒暖計をみると35℃をさしています。暑いなと感じていたのが、35℃という数字をみると余計に暑く感じてしまいます。息子さんは短パンで上半身裸です。西洋医学の薬は体に毒だと強く信じていて、部屋には、サプリメントや自然食品が一杯散乱しています。暑さも自然にしのぐという考えのようです。この信念を変えるには、さらに熱く議論が必要でこれ以上暑いのは堪忍してほしいと思い、そのままです。幸い吉山さんは熱中症にも食欲低下にもなっていません。

 自宅でのエアコン保有について調査してみました。自宅にお伺いしている方は106人です。うちエアコンなしが15人で、あるのに使っていない方が2人、エアコンを使用している方は89人でした。

 生活保護の方は、以前はエアコンをもっていると、はずせなどとひどい指導もあったのですが現在は自分で購入する分にはエアコンの所有はOKだそうです。とはいっても全員が持っているわけではなくエアコンのない方は12人中4人(33.3%)でした。生活保護でない方でエアコンのない方は11.7%(2004年石川県のエアコン普及率は約90%)です。生活保護の方は3人に1人はエアコンがありません。猛暑の中で、堪え忍んでいる患者さんの汗に光る顔が目に浮かびます。猛暑は「もうしょうがない」にしても、エアコンは必需品ですよね。

34.ついに貯金が底をつく---介護サービスを減らす  

 木元義弘さん(仮名)は、91歳の男性の方です。頚髄症が主疾患です。上肢は、かろうじて動き、ストローで水分補給をしたり緊急ベルを押したりはできます。が、下肢は全く動かず体幹の麻痺もつよく寝返りも打てず座位保持もできません。排泄はおむつです。要介護5で重介護が必要なのですが、ご自宅で1人暮らしをされています。それを支えるには限度額を超えたサービスを入れる必要があります。ケアプランでは1年365日の一日3回の訪問介護、週一回の訪問入浴、週2回の訪問看護がくまれていました。要介護5ですと月の限度額は35万8300円です。これを超えたサービスについては10割負担となります。その分が木元さんの場合は月々10万円かかっていました。

 木元さんは、戦争中は中国に出征し大変な苦労をされたそうです。おなかをこわして下痢をしているのですが、行軍中はしゃがんで排泄することができず、垂れ流しで行軍したそうです。一度休むと置いておかれ、戦友が何人も病死したとのことでした。その後遺症なのかどうかその後もずっと91歳になる現在もおなかの調子が悪く下痢をしたり、疝痛発作が出たりします。

 木元さんは、戦後は大工として働き、自宅も自分で建てたといっていました。金沢独特の古い民家で間口が2間ほどと狭いのに奥がとても長い構造です。道路に面した玄関を開けて、大きな土間をすぎ仏壇のある部屋を通過し、縦長の台所をすぎ、次の部屋を超えてさらに次の部屋に木元さんはおられます。訪問診察に,研修生が同行するときには木元さんのおうちのように間口が狭く奥が深いのはどうしてかと質問していますが答えられた方は今までいません。私はしたり顔で間口の広さで税金を取っていたから、庶民の知恵で間口を狭く奥を深くしている名残なのだと説明します。いつの世も、庶民と権力者の税金を巡る知恵比べがあるとまで話を広げますが、今は庶民が完全に負けているような気がします(閑話休題)

  木元さんは自宅以外にもう一軒、家がありそれが売れたとも聞いていたので経済的な問題については考えていませんでした。ところが最近、東京に住む息子さんが来られて、親父の貯金が底をつき、月々10万円を超える限度額の負担は限度だということを話されました。ケア・マネージャーは、マネー・マネージャーとも揶揄されますが、それを実感しました。結局、訪問介護はどうしても減らせないので、訪問入浴をやめ、訪問看護を減らすことで限度額越えを4万円程度にして在宅生活を続けています。

 現状の介護保険では、家族介護を当てにしないで介護保険の限度額内のサービスで生活が成り立つのは、せいぜい要介護3くらいまでと言われています。生活が成り立たなければ在宅医療などは絵に描いた餅です。今後在宅医療を充実させていくためには、家族介護を当てにしないでも、独居の要介護5の高齢者が自宅で住めるような介護保険の制度設計が必要であることは論を待たないと思われます。

33.同居者は独身の息子さん                   

 当院から訪問診察に行っている患者さんで自宅におられる方は、以前より少なくなっており、その一方いわゆる居住系施設に住んでおられる方が増えています。当院では、訪問看護と訪問介護も行っていますが両者とも訪問件数が大幅に減少しています。その理由を検討すると在宅での家族による介護力が低下しているためと思われました。自宅で介護される要介護度の高い方が極端に少なくなったり、また新規の依頼があっても要介護度が重くなるとすぐ施設入所になったりするためでした。一度、自宅での介護状況を調べたことがあります。1998年には老老介護が約33%、嫁が約33%、独居が約12%、息子は0%でした。2006年にはそれらが28%。22%、35%、8%になっていました。年度毎のばらつきはありますが,独居がかなり増えていることと主介護者が息子(基本的に独身)である場合が増えていました。今回は、主介護者が独身の息子である方のお話です。

 大山佐知子さん(仮名)は独身の息子さんと2人暮らしです。大山さんは、アルツハイマー型認知症のかたで長谷川式は8点でした。おうちの中はゴミ屋敷とまではいきませんが、足の踏み場もない状態でした。その状態は大山さん自身のせいかと思っていたのですが、ケア会議でのヘルパーさんからの情報で息子さんが張本人ということが分かりました。ヘルパーさんの話では息子さんがいろんなものを通販でかっているとのことでした。大山さんは、スーパーマーケットに出かけていって挙動不審者ということで警察に通報されたり、外出して迷子になったり(これを徘徊と呼ぶ人もいる)することがあり、自宅での生活は困難かなと思われました。息子さんは介護者としては全く当てになりません。それでグループホーム入居も申し込みをしていました。順番がきたという連絡がありその旨をケアマネが息子さんに伝えました。グループホームの入居費用は大山さんの年金でまかなえますが、フリーターの低収入で通販での買い物がすきな息子さんは、大山さんの年金が入居費用になると困るということで入居が断られました。ましてや不況の時代、息子さんのフリーターの仕事も不確実になりいよいよパラサイト状態になっています。

 幸い、大山さんはその後は外出行動(徘徊とは言わない)もなく、落ち着いて暮らせているのでグループホーム入居の話は切実にはなっていません。同居しているのなら介護の面でプラスになってほしいのが、逆にマイナスになっています。このような例はほかにもあります。業界用語で言えば「経済的虐待」になるのでしょうか。

 今後も独居高齢者と単身の子供が主介護者である場合が増えていくことが予測されています。パラサイトしなくても経済的自立ができる雇用状況になり、かつ家族がいなくても在宅で必要十分な介護が受けられる介護保険制度にならないときびしいなと思いました。

 

32. 認知症一人暮らし 内服はデイで情報はヘルパーから

 大山佐知子さん(仮名)は、81歳の女性です。月に一回訪問診察に行っています。今回は独居または家族はいるが介護されていない認知症高齢者の訪問診察の話です。大山さんは当院の認知症対応の通所介護を利用されています。通所介護の職員が、浮腫があるのでみてほしいとのことで診察すると、心不全で治療が必要と判断されました。月に一回訪問します。本人は認知症のため留守番ができず家には鍵がかかっています。家に入るときはあずかっている鍵を持参して玄関を開けて入ります。すると1人でいる大山さんは、私のことが誰だかわからず怪訝な顔をされます。白衣をみてどうも医者らしいと認識されるようです(白衣を着ていなければ怪しい男だと思われるかもしれない、医は衣なりとはよくいったものです)。内服管理は無論できず、不十分ながら通所介護利用時に内服してもらっています(認知症で独居の高齢者の内服管理ではデイを利用して内服してもらっていることがままあります)。ただ、内服は一日一回朝というシンプルな処方でなくてはなりません。たまに朝夕2回とデイに行っているときに2回のんでもらうこともあります。といっても毎日デイがあるわけではないのでのめる範囲でのんでいただいています。こういったラフな服用でも特に問題ありません(ワルファリンなどはだめでしょうが)。デイに行っていない場合は、訪問介護での対応を依頼するときもあります。必要最小限の薬剤数、一日一回朝のシンプルな処方が必須です。

 大山さんに訪問診察に行っていますが、家の中は足の踏み場もない状態です。洗濯物があちこち干してあり背をかがめて移動しますが、時にパンツなどの洗濯物が肩に引っかかってくることもあります。こうして訪問していても、大山さんが大多数の時間をどう過ごしているのかは見えません。通所介護の職員も送迎で自宅には行きますが自宅での生活がどうなっているのかはなかなか把握できません。ここで重要な情報を提供してくれるのがヘルパーさんです。食事はどうしているのか、身の回りのことはどうしているのか、生活面で何ができていて何ができないのか,こういった情報はヘルパーさんがもっています。しかしヘルパーさんも、ケアプランにもとづき何を何分でおこなうということに追われて大山さんが何ができて何ができないのか、どういうヘルプをすることが大山さんに必要なのかの検討が十分できないのが現状のようです。

 訪問診察で診療して処方しても、その内服管理や生活面での情報収集などは、独居の認知症の方の場合、通所系サービスやヘルパーの協力なくしては困難です。診療のみだと徒手空拳のような気持ちになってしまいますが多職種との共同で手応えを感じることができます。

31.お茶と訪問診察          

初めて訪問診察にお伺いしたときは、診察の終わった後に家族からお茶を出されることがあります。「今日はありがたく頂戴しますが、お茶はいただかないことになっています。これからはお気遣いなく」と話します。この原則を守らなかったお宅があり,今回はそのお話です。

 高井いまえさん(仮名)は、訪問開始時86歳の女性の方です。変形性膝関節症による疼痛がひどく移動困難で、肥大型心筋症などの医学管理のために訪問していました。高井さんのお宅に訪問するときはいつも,その日の一番最後にお伺いしていました。それは診察の後にゆっくりお話を聞くためです。診察が終わると,高井さんはいざって移動しポットから急須にお湯を注ぎ、ぽこぽこと湯飲み茶碗にお茶を入れます。そのお茶を飲みながら話を聞きます。

エピソード1.高井さんのところには、お金に困った近所の人がいろんなものを持ち込んでお金を用立ててもらっていたそうです(戦後のことだろうと思われる)。高井さんのところには「死んだ猫」以外のものなら何でもお金にしてくれるといろんなものが持ち込まれたよりにされていたということです。

エピソード2.高井さんの夫は、100歳でなくなられたのですが、実際は101歳だと高井さんはいいます。その理由は高井さんの夫の名前が江戸時代の天皇の名前と同じで,役場が出生届をなかなか受理せず受理したときは1歳だったためということでした(明治時代の話)

エピソード3.高井さんの夫は、金箔うちの名人でした。昭和に東大寺大仏殿の大修理がありました。その屋根の左右には鴟尾がのっています。唐招提寺の鴟尾は瓦ですが,東大寺のものは金箔が貼られています。その金箔を誰に打たせるか、日本一の名人を探せということで高井さんの夫に白羽の矢が当たったようです。その金箔を打つときは,自宅の庭にある井戸の水をかぶり身を清め、真新しいさらしのふんどしを締めたそうです。最近の金箔は10年もすると少し黒ずんでくるが、高井さんの夫の打った金箔は100年以上は大丈夫とのことした。

毎回毎回こういったとても興味深くおもしろい話を聞くことができるので,お茶を飲みながらついゆっくりしてしまいます。在宅医療は、当然、その人のその時点での生活を医療面のみならず丸ごとみるわけですが、その生活はその方の長い人生史の到達点であり、それを知ることも在宅ケアには必要なことだと感じています。

在宅医療臨床入門(南山堂)という本には、16ページに「湯茶などへの対応をどうするか」という項目がありますが同じ考え方だなと思いました。

 

30.訪問診察依頼あれど、始まらずそのまま中止(2)

クリニックに訪問診察依頼があっても、結果として訪問診察が開始にならなかった方々の2回目です。

2.外来でみていた先生が、通院が困難になってきたようだからと気を回して訪問診察を依頼してくださったのですが、患者さんや家族に十分説明しておらなかったのか、こちらから訪問診察にお伺いしますと電話をかけると「訪問診察はいらない」といわれたことがあります。こちらは,依頼があればすべて断らずに引き受けようという姿勢でいますが、患者さんのほうから断られてしまったら打つ手がありません。依頼してくださった医師にその旨を連絡して終わりです。訪問診察は単なる通院困難の代替手段ではないと考えています。

3.大腿骨頚部骨折術後で認知症もあり、いろんな訴えで不定期に病院に来るということで、通院も大変だし往診で対応してもらえないかという依頼がありました。こちらから電話をかけて○○先生から頼まれて今度往診にお伺いするようになりましたがと話し、向こうからいくらかかるかというのでおおよその負担金をいうと、そんな高いのならいらないと言われたことがあります。その後、同様のことが繰り返されるために再度往診依頼があり今度は訪問診察につながった方がいます。その後、薬がない、今度いつ来るのか、足が痛いなどなど頻回に電話がかかってきましたが随時の往診と電話を受けた職員の対応で今は落ち着いています。月に一度訪問時に医療費の請求をお願いすると「あ、そうけ、いくらけ」といって高いとはおっしゃらずに支払ってもらっています。

4.さあ、初めての訪問診察だという当日の朝に自宅で転倒して、大腿骨々折をおこして入院となりそのまま在宅の戻れなくなった方。Fさんは73歳の男性です。脳梗塞を3回おこしましたが何とか外来通院されていました(他院)。また結核後遺症による慢性呼吸不全があり在宅酸素療法もしています。いよいよ通院困難となり訪問診察依頼がありました。段取りを整え初回訪問診察の日を決めて家族に連絡しました。が、当日の朝です。家族から電話がかかってきて転倒して動けなくなっているとのことです。骨折が強く疑われ以前通院していた病院に救急搬送されました。大腿骨頸部骨折を起こしておりそのまま入院になり訪問診察は開始されませんでした。

5.午後に初回の訪問診察に行くことになっていたHさん。89歳という高齢の女性で依頼医からの情報では消耗状態という診断でした。そのHさんが、なんと当日のお昼の12時50分に自宅でなくなられたと連絡がありました。急遽訪問中止としました。

訪問診察依頼があっても結果的には訪問診察に至らない理由もいろいろあるなあと今回まとめて実感しました。

29.訪問診察依頼あれど、始まらずそのまま中止(1)

クリニックに訪問診察依頼があっても、結果として訪問診察が開始にならないことがあります。ちょっとまとめてみたら今までに38名の方が依頼があっても開始にはなりませんでした。今回はそういう方々のお話です。

1.がんの終末期で入院中の方が、在宅での療養を患者さんも家族も希望し、主治医からは訪問診察の依頼があったのですが、通院を選んだり、病状が悪化して死亡退院になる場合があります。

 森川太郎さん(仮名)は71歳の男性です。直腸癌、癌性腹膜炎でA病院の外来で化学療法を行っていましたが、嘔気が出現し飲まず食わずの状態になりA病院に入院になりました。骨盤内病巣による小腸イレウスが原因と診断されました。排液のための胃瘻造設を行い、在宅CVの手技を家族に指導し退院となりました。この時点で訪問診察の依頼があったのですが家族は訪問診察ではなく、病院主治医の外来通院を希望され2ヶ月後に再入院し死亡されました。家族にしてみれば長らく手術も含め主治医であった医師から顔も知らない訪問診察医にバトンタッチされることに不安が強かったのでしょうか。退院前からの面接で本人家族の思いを十分に聞き、在宅での不安などにきちんと説明がなされるべきであったなあと感じました。

 また、B病院に入院中でがんの終末期の方で家族がつよく在宅医療を希望し、当院に訪問診察依頼があったのですが、嘔吐が続き経口摂取も飲水も困難な状態で血圧も低下しそのまま病院でなくなった方もおられます。

 JPAPというがんの疼痛緩和治療の普及を図る非営利団体による金沢での第2回目のカンファランス(2009年4月)に出たときに症例報告があり、そのうちの一例のスライドに「患者・家族は強く在宅を希望したが困難だった」との記載があり、帰せなかったのかなあと感じたこともあります。

 県の在宅緩和ケアの研修会に出たときに、がんの終末期で入院中の患者さんの80%が家に帰りたいと希望しており、主治医の80%が在宅は無理と感じているという話を聞きました。

 これらには、さまざまな要因が絡んでいるのでしょう。在宅が本当に困難な病状の不安定さ、自宅に帰るタイミングの問題、病院主治医と在宅医の連携の問題、在宅側の緩和ケアのレベルの問題、多職種共同で支える在宅医療への理解の問題、24時間365日対応が可能な医療機関の周知、家族が希望しない場合、医療を提供するためには生活が成り立たなければならないが在宅介護力が低下していて退院できない場合、などなど。顔が見え、力量がわかる(安心して依頼できる)連携を病診でつくっていく必要があります。長崎ドクターズネットの実績には学ぶべき点が多いと感じています。金沢でも是非作りたいですね。

石川県保険医協会では今年の企画として、地域医療室訪問が始まります。上記のことも是非話題にしたいと思っています。

 

27.終末期もどき  

 中田内太郎さん(仮名)にはじめてお会いしたのは、A有料老人ホームで、「サクセスフルエイジング・脳強貯筋」というタイトルで話をした時でした。当時は99歳でそのホームでの最高齢者ということでした。施設の職員に促され発言されました。何を質問されたかは覚えていないのですが、すごい変化球の質問だったことは覚えています。

この有料老人ホームには、以前在宅ターミナルケアの学習会の講師をたのまれ、月に一度ずつ半年以上間継続したことがきっかけで訪問診察を依頼されるようになりました。

 中田さんは、B病院に大動脈弁狭窄症、洞不全症候群で通院されていました。洞不全症候群に対してはペースメーカーが埋め込まれています。大動脈弁狭窄症は重度ですでに何回か失神発作を起こしており急死の危険性が本人、家族、施設の職員には伝えられています。中田さんは通院困難ということで、私の訪問診察を希望され2006年からお伺いすることになりました。外来カルテの現病歴を振り返ってみれば、「あと半年で100歳」と書かれていました。上記の疾患以外に睫毛内反があり、訪問診察時に抜毛を依頼され行くたびに抜いています。また鼠径ヘルニア、慢性腎不全なども認めています。口癖のように飯が美味しくないというので試しにラコールを処方したら喜んで飲んでおられました。時に失神発作を起こし一度などは訪問診察の日で、そのホームにちょうど到着したら救急車が横付けされており中田さんが失神発作でまさに救急搬送されるところにであったこともあります。

 さてこの中田さんが食事摂取量が落ち、元気がなくなり、意識が遠のくことも多くなったことがあります。施設では、終末期だと思ったのか、家族を呼び主治医の私からの病状説明の場が設定されました。その場で施設から示されたのが 看取りに関する指針と看取り介護についての同意書でした。私は、「食べられなくなっている現状は、本当に食べられなくなってきているのか、脱水や感染症などによる一時的な症状なのかのどちらかだろうがすぐには決めかねることです。血液検査をして、点滴をしてしばらく様子を見ましょう」と話しました。その上で看取りに関する指針には賛同して署名しました。家族は看取り介護についての同意書にサインをしていました。血液検査では、いつもは40台のBUNが60近くまで上昇していました。電解質異常や炎症反応などはありませんでした。点滴を連日続けたところBUNが以前の値に戻り、遅れて食事摂取量がもどりさらに遅れて一ヶ月後にほぼ元の状態の戻りました。BUNの値の次に戻ったのが弁舌だったのは中田さんらしいとみんなでうなづきあったものです。中田さんは結果としては終末期ではなかったということです。非がん疾患の終末期の判断は難しいとつくづく思ったものです。最後に中田さんが書いた詩を紹介します。「たったひとつの命だから 大空に向かって万歳万歳と天を仰ぐ今日の空まで」

26. たった一錠で終末期?

 池乃内善観さん(仮名)は94歳の男性の方です。特定施設入居者生活介護型のA有料老人ホームにおられます。基礎疾患は、慢性腎不全(クレアチニン2.7)、気管支喘息、老人性そう痒症、認知症、前立腺肥大、神経因性膀胱、高血圧、糖尿病、陳旧性脳梗塞、高ガンマグロブリン血症と満身創痍ともいえる病名が多数ありますが本人は比較的元気です。夜間、食べ物を求めて外出行動をしたりすることもありますが、落ち着いて生活されていました。

  池之内さんは200X年7月16日に、右下肢に強い疼痛を訴えるようになり往診を依頼されました。診察すると、疼痛の性質は神経痛様であり、疼痛の分布がちょうどL4領域にあり、腰椎管狭窄症によるL4の神経根痛と診断しました。かなり痛がっており神経性疼痛なのでカルバマゼピン100mgを1錠のみ処方しました。少量なので副作用は余りでないだろうと思っていました。翌日電話で様子を聞くと、疼痛は幸いに軽減し、ふらつきもでませんでした。7月22日は定期の訪問診察日でした。下肢痛は軽減しておりいつもと変わった様子はありませんでした。8月5日になり担当の看護師から連絡がありました。意識レベルが下がっており、呼名反応に乏しく顔貌も変化しており危ない感じがするというのです。すぐ往診に出かけるとたしかに看護師のいうとおりです。診察では麻痺などの神経局所兆候はなく、いわゆる広義の代謝性因子による意識障害を考えました。脱水・電解質異常・急性炎症がないか血液検査を急ぎでしましたが異常ありません。以前から内服していた気管支拡張薬テオフィリンの中毒ではないかと急ぎで血中濃度を測るものの6.6でした。高齢者の場合、何か変なことがおきたら薬剤性ではないかと考えることが重要なので、池之内さんを振り返ると7月16日からカルバマゼピン100mg1錠を処方していました。まさか100mg1錠でと思いつつ、中止しました。8月6日には息子さんと面談し、病状について説明しました。老衰かもしれませんが薬の影響かもしれません。しばらく様子みますと話しました。息子さんは、お盆に家に連れて帰ってよいかと聞かれました。よほど体調が悪くなければ是非連れて行ってあげてくださいと答えました。8月12日に訪問診察に伺うと寝ていることは少なくなっておりあきらかに改善しています。やはりカルバマゼピン100mg1錠のためだったと判断しました。無事、お盆には家に帰り一家団欒を過ごしたそうです。8月19日に訪問したとき、看護師と顔を見合わせ「もどりましたね」とうなづきあいました。

 意識が改善すると同時に再び下肢の疼痛の訴えも出てきました。看護師に何か対応をといわれ、冗談にカルバマゼピン再開しようかというと激しく首を振られます。あまり効かないかもしれないがノイロトロピンを処方し、痛いといったら同部にスチックゼノールを塗ってそのひやひや感でごまかしていく方針にしました。幸いそれで何とか疼痛がコントロールされました。

  高齢者の場合、何か変なことがおきたら薬剤性ではないかと考えるという鉄則の重要性をあらためて感じた例でした。

25.骨折があっても痛いと言わない、痛いと言ったら本物だ                            

  高齢者が疼痛を訴えることはよくあります。膝が痛い、腰が痛いと言って病院に行っても「年のせいで仕方がない」といわれ、湿布を出してもらって何とかだましだまし生活を送っている高齢者も多いと思われます。癌性疼痛に関しては、緩和ケアの重要性が叫ばれる中で治療法も一定確立している関係で無関心でいる人はいないと思いますが、骨関節疾患ではまだまだ関心が少ないのも事実です。

 腰椎圧迫骨折とその後の神経根痛で整形外科に入院したものの、座薬と湿布で我慢させられていた(としかいいようがない)患者さんで、家族が何とかならないかと外来に患者さんを連れてこられたことがあります。患者さんは腰椎圧迫骨折をおこす前は、パーキンソン病で通院していたのですがいつも笑顔で来られていました。その方がまさに「幽鬼」とでもいう感じになっており、疼痛による消耗のひどさを実感したものです。連れてきた娘さんと顔を見合わせ言葉を失うほどでした。がん以外の高齢者の疼痛に対しても敏感にならなくてはと思います。

  さて、今回の話は高齢者の疼痛のウラに思いがけない疾患が隠れていた二つのお話です。

 愛宕信二さん(仮名)は90歳の男性です。腰痛がひどく通院困難となり訪問診察を頼まれました。この方の奥さんにも過去に訪問診察に行っていました。腰部脊柱筋に硬結と圧痛があり、いわゆる腰痛症だろうとキシロカインの局注をしましたが効果は今ひとつでした。椎間関節からの痛みの可能性があり椎間関節内注射をしましたが一時的な効果があるようなもののそれほどの改善はありませんでした。しからばと、少しかじったAKA(arthrokinematic approachの略でエーケーエーとよびます)を行うと、ああいいかなと思うのですがやはり効果は持続しません。それではと、ちょうどクリニックに導入したマシーンでパワーリハを行いましたが効果がありません。これで2年間がたっていました。そうこうするうちに貧血が進行していることに気付かれ、血沈も異常に亢進しており、検査の結果多発性骨髄腫であることがわかりました。一生懸命やるのはいいのですが、ピントが外れていては何にもなりません。きちんとした鑑別診断と必要な検査の実施が在宅であっても必要だと痛感しました。

 認知症で、通院の後グループホームに入居になった田中栄三さん(仮名)が、しばらくしてから、何かの拍子に痛い痛いと大声を上げるようになりました。どういうときに痛がるかと考えても、再現性がなく、本人にどこが痛いかと言っても的確な返事はありません。けろっとして痛がらないこともあり、心因的なものかとも思ったくらいでした。しかし、しばらくして検査すると膀胱癌の骨転移で大腿骨の骨折がありました。的確に痛みを訴えることが出来ない認知症の方の場合、その方が痛い痛いと言うときはなにか重大な病気が隠れていると思っていいと感じています。なぜなら認知症の方は、これは当然痛いだろうと思われる圧迫骨折や、恥骨骨折があっても痛くないと言葉では言うからです。痛いと言えば本物だと考えきちんと診断することが必要です。

24.内科・泌尿器・神経内科・整形外科

 高齢者の疾患の特徴の一つとして、「多病」ということがあります。自前でつくった、居宅療養管理指導や訪問看護指示書、特別訪問看護指示書、診療情報提供書などの書類作成用のデータベースでは、疾病欄が6つとってあるのですが、それが一杯になることもあります。今回は、4つの科に通院していた方が訪問診察になった話です。

 杉本万千子さん(仮名)は某老人施設で生活されております。その施設には以前より訪問診察に行っており、そこの指導員から家族の了解の元、訪問診察の依頼がありました。

行く前に前医からの診療情報提供書3枚が取り寄せてありました。泌尿器科からは、低活動性の神経因性膀胱という病名が、神経内科からはアルツハイマー型認知症、内科からは、うっ血性心不全、高血圧、右大腿骨頚部骨折術後の病名がありました。その他整形外科にも通院していましたがそこからは診療情報提供書はいただけませんでした。内服薬からみると骨粗鬆症・便秘症が病名のようです。病名は7つになります。私のデータベースではあふれてしまう病名数です。また一時期は精神科にもかかっており、その時はなんと五つの科にかかっていたことになります。精神科は卒業できたようですが、残りの四つの科には通院していました。認知症と大腿骨頚部骨折後の歩行障害もあり、通院には付き添いが必要ですし、四つの科にかかるのは本人の負担も大きいということで訪問診察の依頼になったわけです。四つの科からは合計で10個の薬剤が処方されていました。

泌尿器からの診療情報提供書では、現在内服のみにて経過良好なのでフォローアップお願いしますとのことでした。ベサコリン散、エブランチル、ウブレチドが処方されていましたが現在はベサコリン散のみ処方しています。ベサコリン散も膀胱内圧曲線を行い必要かどうかチェックしたいところです。神経内科からは時に妄想がありセレネースでコントロールされ、よろしくとのことでした。セレネースは中止にしましたが妄想の再燃はありません。内科からは心不全・高血圧はコントロール良好で、今後のご加療お願いしますとのことでした。血圧が時に108/40と低めでフロセミドのみとなりました。現在は6種類の内服です。私のsubspecialは老年医学と神経内科です。高齢者によくみられる疼痛疾患に対応しようと整形内科(外科ではない)をかじり、神経疾患でよく見られるために、神経因性膀胱のマネジメントをかじっていたのでこの四つの科に通院していた杉本さんの訪問診察に私への指名があったというわけです。

  高齢者の場合、この方のように複数科にまたがる「多病」をもたれることもあり在宅医としてはある程度カバーできることが必要です。無論、「生兵法は怪我のもと」ということにならないように、フィードバックとして常に専門医へのコンサルトの時期を考えていることが前提ですが。

23.在宅での急死(2)

 山田太郎さん(仮名)は57歳と私たちが訪問診察に行っている方の中では若い方でした。多発性脳梗塞で屋内レベルでした。47歳の時には脳梗塞による障害のために仕事ができなくなり妻がパートの仕事をしながら家を支え、かつ夫の世話をしてきたのでした。最初のころは通院していたのですが徐々に歩行障害が悪化して通院困難になり訪問診察になっていました。午前の診療が一段落したときです。奥さんから、「夫が風呂に浮かんでいる」と慌てた声で電話がかかってきました。「救急車を呼んだらいいか」と聞かれたので、私たちがすぐ駆けつけた方が早い距離だったので「すぐいく」と返事して車で駆けつけました。到着して風呂場をのぞくと、お湯が抜かれた浴槽の中で山田さんはうなだれるように座っていました。看護師と二人してどうにか浴槽からあげると口腔内からお湯が大量に出てきました。心肺は停止しており、瞳孔も開いておりそのまま死亡確認しました。溺水と思われました。なぜそうなったかを頭の中で、めまぐるしく考えました。脳梗塞が再発し、意識レベル低下が低下してお湯の中に顔を突っ込んだのだろうか?、心筋梗塞をおこして意識レベル低下したのだろうか?、くも膜下出血をおこして意識消失したのだろうか?、立ち上がろうとして転倒して脳震盪をおこしたのだろうか?などとあれこれ考えましたが外表所見からはどれとも決められません。警察に連絡してから、あいた部屋に遺体を移しそこで検案しました。後頭下穿刺で髄液採取しましたが血清ではありませんでした。くも膜下出血や脳出血後の2次性くも膜下出血ではないとはいえますが原因ははっきりしません。無論犯罪によるものではないので最終的に検案書として溺水と記載しました。突然の死に、妻も、駆けつけた娘さんも呆然としながら涙を流しています。朝風呂に入ると言って風呂に入れた後、妻は家の回りの掃除をしていたようで、もし家の中におれば早く見つけることができたかもしれないと悔いておられました。妻に向かって、「心臓か脳に重大なことがおきたと思われるので、致し方なかったと思います。悔いることはありません。むしろ長い間、仕事をしながら夫を支え介護してきて本当にご苦労さまでした」と話しました。

 外来にかかっている患者さんで、ぽっくり逝きたいとおっしゃる方は結構おられます。

そう言われたら、「○○さん、ぽっくり逝くと家族は腰を抜かさんばかりに驚くし、警察を呼ばなければならないこともあり大変だよ。寿命一杯生きて数日寝込んだと思ったら、家族に見守られながらありがとうといって死んでいくのがいいよ。そのためにも寿命一杯生きないとそんなことにはならないから血圧のコントロールしっかりしようね」といっています。わたし自身そうなったらいいなと思いつつ,現実は厳しいなと半分あきらめていますがーーー。

22. 在宅急死                   (保険医協会2009年8月)

 今回は在宅で急死された患者さんのお話です。

 以前、病院勤務だったときのことです。病棟回診中に、ベッドサイドで患者さんの診察をして、その奥さんと会話したあと次のベッドにいこうとして背を向けた途端、奥さんが「あっ」と声をあげました。振り返ってみると患者さんはこと切れており心肺蘇生をしてもまったく反応がありませんでした。解剖させていただくと胸部大動脈瘤の破裂でした。胸腔内だけでなく、横隔膜を突き破って血液が腹腔内にも達していました。これでは急死も当たり前で蘇生の余地もないと感じたものでした。大動脈破裂というものの怖さを実感しました。最初は、この大動脈破裂で在宅で急死した話です。

 吐血と言えば、胃潰瘍、食道静脈瘤破裂など、喀血と言えば肺からですが、胸部大動脈瘤が破裂して食道を介して大量に吐血した例です。

 中山淑子さん(仮名)は91歳の女性の方です。解離性大動脈瘤が破裂し食道穿通をおこし大量吐血で入院されました。保存的治療で奇跡的に一命を取り留めました。手術療法は年齢と危険性を考慮し選択されませんでした。本人は高齢でしたが、認知症もなくしっかり意思表示され、再破裂による突然死の危険性を充分認識しつつ在宅生活を希望され退院となりました。初回訪問時は、ニコニコと応対してくださり、困ることは便秘とのことだと話されていました。その3日後のことです。夕食は普通に食べて、排便もあり普段と変わりなかったようですが、午後7時過ぎにお嫁さんがみにいったら血を吐いて倒れており、あわてて緊急連絡をされてきました。駆けつけると(駆けつける車の中では、初回往診時に便秘のことをおっしゃっていたので破裂の誘因として便秘があったかもしれない、もっと排便のことに注意を向けるべきではなかったなどと考えていました。到着してお嫁さんから排便があったと聞いてホッとしたことを覚えています)、ベッドの上から部屋の壁にかけて血しぶきが飛び散っていました。恐れていたことが現実になったのでした。お嫁さんも覚悟はしていたとはいえ、大量の血しぶきに動転していました。血圧を仮に150mmHgとすると、水銀の密度13.6をかけて、水柱に直すと約2メートルになります。2メートルが納得できる血しぶきでした。その血しぶきが飛び散る凄惨な状況を、看護師と二人で大量のタオルを使ってなんとか落ち着いた状態にするのに小一時間もかかりました。とても暑い夜でエアコンがない部屋だったので二人とも汗だくになりました。その後クリニックに戻り、死亡診断書に向かい、直接死因記載に何ら迷いなく大動脈瘤破裂と書きました。中山さんの場合の死因は明白ですが、実は在宅で急死した場合、正確な死因がわからないことが多いのも事実です。死亡診断書には主要疾患を直接死因として記載し、主要疾患発症から亡くなるまでを発病から死亡までの期間として家族に説明しています。

21.これぞ にっぽん昔話             (2016年8月)

 井村あかね(仮名)さんは、パーキンソン病が主疾患で、とても小柄な女性でした。訪問診察に行くと、部屋には必ずポットに一杯のお茶がありました。常に手の届くところにポットがないと、のどの渇きに対応できないとのことでした。糖尿病やシェーグレン症候群もなく、薬剤の影響もないので口渇の理由がわからず、いつごろからそうなのかを聞いてみました。そうしたら物心ついてからすでに口渇がひどかったとのことでした。その話をしていたときに井村さんの子どもの時の話になりました。今では考えられないことですが、井村さんのおうちは兄弟が多かったので口減らしの目的で井村さんは10歳のころに奉公に出されました。その時すでにのどが渇いて、しょっちゅう水分をとっていたようです。奉公での仕事は主に子守です。遊びたい盛りだっただろうにあの小柄な井村さんがそれも10歳の時に奉公先の子どもをおんぶしている姿を想像すると胸が痛みます。奉公に出ても口渇は同じで、奉公先で自分の仕事の場を離れては水を飲みに行っていました。それを見つけた奉公先のご主人に怒られて、食事以外で水をとってはならないと言いつけられました。井村さんは口渇に苦しんだようで、思い出してもつらいといったふうな話し方でした。それでもご主人の言いつけをまもり水を我慢していたのですが、ある夜中にとうとう口渇に我慢が出来なくてこっそり起き出して水飲み場に行こうとしました。ちょうどその時です、バチバチという音がしてきたのです。井村さんはそれが火事だと気づき大声で家人を起こしました。幸い火はすぐ消し止められました。ご主人はこれをたいそう喜び、以後井村さんに「のどが渇いたらいつ水を飲みに行ってもいいよ」といわれたと嬉しそうに話してくれました。めでたしめでたし。遠い昔を思い出すような目が印象的でした。訪問診察の同行実習の医学生と一緒に井村さんの所に行く機会があると、このにっぽん昔話を語り聞かせたものでした(実習には役に立たなかったと思われるが)。

 井村さんは息子さんと暮らしていたのですが、私たちが訪問診察に行っているときは、嫁いだ娘さんと一緒に暮らしていました。10歳の頃には子守の奉公をしていたことを偶然知ったわけですが、それから訪問診察が始まるまでの60年以上の間の事はよくわかりません。いろんなことがあったんだろうなと思いつつもゆっくり話をする機会もなく過ぎてしまいました。

 そんなこともあり、訪問診察時にお部屋にアルバムでもあるとみせてもらっています。それは患者さんの人生のほんの一部にすぎないものの、それを話題にすることで、気持ちの分だけ、患者さんに寄り添ったものになるようにと思っています。在宅医療では、生活の場に医療があると言われています。が生活の場が同時進行の訪問診察の場面であるだけでなく、長い人生の終結点であるという意識も大事だと感じています。

20.生活環境を変えずに医療提供            (2016年6月)

 10年以上のつきあいの梅田さん(仮名)さんは、アルコールがとても好きでした。金沢市の庶民の台所である近江町市場から比較的近いところに一人くらしをされていました。歩いて、近江町市場に行っては新鮮な刺身を買い、好きな酒で晩酌をしながら食べることを日課としていました。ここまで書くと梅田さんは男性だと無意識に思われるでしょうが実は現在88歳の女性です。アルコール好きがたたったのか脳梗塞を繰り返し、一人くらしが困難となりグループホームに入居になりました。多発性脳梗塞のため、かなり強い仮性球麻痺をおこしてしまい嚥下困難になってしまいました。咀嚼能力も舌の大きな血管腫もありおちていました。時間をかけながらミキサー食を自力でスプーンを使いながらなんとか食べています。とんちの問題で「一日一食ですます方法は?」というのがあり、その答えが「朝から晩まで食べ続けること」というのがありますが、梅田さんもこれに近い状態でした。

 この梅田さんが、38.9度の発熱で食事摂取がほとんどできなくなったことで臨時に往診しました。軽度の意識障害があり、胸部聴診上は異常ありませんでしたが、呼吸数は1分間に35回の頻呼吸で、動脈血ガス分析でPO2が51.9Torrと急性呼吸不全の状態でした。CRPは1.45でしたが、白血球の軽度増多があり、肺炎と考え入院を考えました。しかし連携病院のベッドが満床ですぐの入院は困難でした。グループホームですので介護職の24時間の見守りがあるし、酸素吸入と補液、抗生剤の投与はグループホームでも可能なので、自院にある在宅酸素療法用の酸素濃縮器を運び込み酸素3リットルで開始しました。毎日往診し、一日1500mlの補液、抗生物質の経静脈投与を行ったところ、比較的速やかに改善し入院せずに治癒に至りました。

 PORT(Pneumonia Outocomes Research Team) Severity IndexPSIといって、成人の市中肺炎の重症度をスコア化して入院適応などの参考にする指標がありますが、梅田さんの場合、PSIが148とクラスV、重症と判断されることになります。当院から訪問診察に行っている方で2006年4月から2007年3月までの一年間に肺炎で入院された方は13人でしたが、PSIは77-131で平均108.2でした。梅田さんは入院はしませんでしたが入院したどの方よりもPSIが高値でした。

 生活環境を変えずに、なじみの関係の介護職が24時間対応し、医療も在宅医療として連日でかつ24時間の対応をすれば高齢者には安心した医療提供になると思われました。

19.認知症高齢者が入院せずに済む方法            (2016.5)

今回は、在宅の認知症の方が急性疾患を発症したときに、介護と協力すれば入院せずにすむこともあるというお話です。

 認知症で一人暮らしをしている大山さん(仮名)は、84歳を超えていますが、実年齢より10歳は若く見えます。某高校の野球部監督をしていたとかで(未確認情報ですが)かくしゃくとした感じでスポーツウエアを着て天気のよい日は散歩をしています。ただ認知症で通院は困難なので訪問診察に行っています。普通に接して話してい ると、認知症の方だとは思えないほどなのですが、体調が悪いときには不穏となり、ある時は、ものを探し回り部屋中尿便で汚染してしまったこともあります。 長谷川式は8点でした。またある時、数日前より様子がおかしく落ち着きがない、デイの日ではないのにデイの周りを早朝よりうろうろしていたことがありまし た。このときは、臨時に往診し直腸診をすると直腸に便塊があり,浣腸したところ大量の排便がありました。認知症の介護の分野では、認知症の行動障害の原因 として便秘があることはよくしられています。大山さんもそうかとも思ったのですが何せ一人くらしなのでそのままでは心配です。といって病院に入院すると余 計不穏になることが予測されます。そこで思いついたのは介護施設での緊急ショートスティです。認知症ケアに熟達した職員のいるところでのケアと、私どもの 臨時の往診を組み合わせてみていこうという発想です。「ケア」もあるし「医療」もあることがミソです。ショート一日目の夜は一晩中落ち着かなかったようで 翌日往診するとぐっすり寝ていました。日中はおこして生活のリズムを乱さないようにと話しました。三日目にはすっかり落ち着いて無事一人くらしの生活に戻 れました。ここでいう介護施設は短期入所生活介護を提供する所です。配置医師がいるので本来は悪性腫瘍の末期以外の訪問診察は出来ません。が急病などで臨 時に往診することはできます。ただ訪問看護は利用できないので、点滴などは何度も往診して対応することが必要ですし、ショートスティの空きがタイムリーに なければ利用できないし、ショートスティの受け入れ先のケアのレベルがある程度ないと利用困難ですし、ショートスティのあいている期間で改善するかといっ たようにさまざまな課題があることは事実です。 しかし、認知症の「ケア」もあるし、在宅で診ている主治医が継続して「医療」を提供できることは、認知症 の方の入院以外の医療提供方法として有効であると思っています。

 小規模多機能居宅介護(本紙で訪問記事があります)を利用される認知症高齢者の場合は、ケアを提供する職員とす でになじみの関係になっており、ショートスティ(泊まり)になっても混乱が少なく、かつ、医療も比較的フリーに提供できるというメリットがあり今後の普及 が望まれます。利用者にとって最もいい方法は何だろうと常に考えることが基本ですね。

城北クリニック

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