介護者諸相(3) 

41.介護者諸相(3)   

 保田四郎さんは82歳で亡くなられましたが、11年間訪問診察に行っていました。その長い在宅療養中に、介護者が選手交代したお話です。
  保田さんは、脳梗塞をおこす前は、でっぷりと太っていて、座ると突き出たおなかにお銚子を何本も乗せる事ができたそうです。宴会があると上半身裸になり、自分のおなかにお銚子を乗せてよく飲んでいたと介護者の妻が話していました。その話を聞きながら保田さんはそうだったといって笑っていました。脳梗塞後は体重減少が有り、おなかもぺちゃんこでその面影はありませんでした。保田さんは、脳梗塞以後は家業の食堂を息子夫婦に任せ、介護は妻が全面的にしていました。息子夫婦は食堂にかかりっきりで訪問時も顔を合わせることはありませんでした。

  その妻がある日、心筋梗塞で急死しました。その時はとりあえず保田さんにショートステイにはいってもらいましたが、私たちの頭に思い浮かんだのは、保田さんはこれで在宅療養は終わりで施設入居になるだろうということでした。何でそう思ったかといえば、いままで介護は姑にまかせっきりであったこと、家業の食堂があることなどからとてもお嫁さんには介護が無理だと感じていたからです。ところが、保田さんを残して亡くなった姑は、おそらく後ろ髪を引かれるような思いでいっぱいであっただろう,安心して成仏してもらうためには保田さんの介護を引き受けるべきと考えたのかお嫁さんが、「私が介護します」ときっぱりと宣言したのでした。
 その後、お嫁さんの介護を受けながら、進行胃がんの合併と、低温火傷からの下肢の壊死などを併発しながらも、在宅で最期まで療養できました。貧血が進行し、在宅で輸血をした当院での一例目ともなりました。保田さんが亡くなったときに息子さんから是非、中陰に来てくれといわれました。訪問診察にいっていた方で亡くなった方はかなりの数に上りますが、中陰に来てくれといわれたのは初めてでした。ながらくの介護,本当にご苦労様でしたねと、お嫁さんをねぎらい、保田さんの妻もあの世で「また介護せないかん人が来た」といっているかねなどと話をしました。保田さんが十分に介護された上で最期まで自宅におれたという満足感も親族の間に有り、中陰の席は賑やかなものでした。

 お嫁さんが、保田さんの息子さんと結婚して同居となり、子育てをしながら家業の食堂の仕事をしていたときに保田さん夫婦とどういう人間関係であったのかは具体的に尋ねたことはありませんが、私が介護しますと宣言できたのはその人間関係に暖かいものがあったからだと推測しています。「人間は生きてきたように、死ぬ」。
 当時高校生だった保田さんのお孫さんが、母親が祖父を介護する姿を見ていて決断したのか、介護福祉士の学校に入り、資格をとって後、私たちの関連の病院の療養病床につとめるようになったのはそれからしばらくしてからのことでした。 


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