2025年10月のある日

 今から15年前には、今年(2025年)がベビーブーム世代が75歳を迎える年として危機的にイメージされる年だったらしい。15年前は、国のあり方が定まらず旧態依然とした市場原理主義的な施策でどうにもならない状況だったが、その後、環境・エネルギー問題を中心にして、定常化社会を実現していくしか生き残る道はないことが国民の間にも共通認識となって、食糧自給、エネルギー自給、ケア社会を3本柱にした政策が実行される様になった。地産地消の食糧政策で安全な食品と栄養補給で肥満や糖尿病が激減し(アメリカの食糧メジャーの影響をブロックできた)、エネルギーは、再生可能なクリーンエネルギーが日本の技術で自給できる様になり(アメリカのエネルギー政策を跳ね返した)、原発はゼロになり、主要な輸出産業にもなっている。超高齢社会でケアを必要とする高齢者が増加したが、それにたずさわる人で雇用が増え、さらに社会保障充実で老後の心配が無くなり、旅行や文化活動、新しいエネルギー政策に伴う需要が増え経済も安定している。いい世の中になったもんだワイと思いながら今年で70ウン歳になる私も、少々ガタが来ているが現役で訪問診察に出かけている。

 今日は、100歳で独居の外橋さんを訪問する。外橋さんは年齢相応の認知能力の低下があるもののきちんと意思表示ができ、一人暮らしを続けている。昭和生まれが今年から100歳になってきている。寝たきりに近い状態だが施設ケアとほぼ同じレベルのケアが定時と随時に提供されている。昔だったら外橋さんは施設入居となっていただろう。状態が安定しているときは、医師の出番は余り多くないが定期的な健康チェックと生活に目を向けての状態観察をおこなっている。状態変化があったときには適切な評価をして、入院加療の必要性を判断する。この前も、少し元気がなく食事摂取量も落ちてきたとの訪問看護師の報告ですぐ往診したところ肺炎でSPO2も89%で入院を関連病院にお願いした。高齢者が入院したときには、それまでの生活がビジュアルにかつナラティブに病院スタッフに伝わるようになっている。急性期病院でもケアスタッフが配置され,認知症がある場合などはマンツーマンで対応する様になっている。無論、栄養士やリハビリスタッフといったマンパワーも充実している。関連病院も15年前は100床あたり70名のスタッフだったが今は300名のスタッフがいる。入院しても生活を支える面を強化し、かつ専門的な栄養評価やリハビリが集中的に行われ、急性期の非侵襲的な治療を短期間に終えられる様になってきた。入院でしかできない治療が終わると、すぐ退院となる。退院直後は24時間泊まり込みのスタッフが配置されソフトランディングをはかっている。高齢者もはやく家に帰ると元気になることが多い。外橋さんも去年入院したときは5日間で退院し、退院後はなじみの職員が3日間、24時間対応し元の生活に戻れた。

 認知症も300万人を超え大変だと15年前は騒がれたものだが、新しい国の政策で競争原理一辺倒ではなくなり地産地消の食糧・エネルギー政策とも相まって、地域コミュニティの再生がすすんだため、認知症高齢者を地域でソフトに受け止めることが可能になってきた。認知症高齢者そのものの数は多いものの、不安なく安心してかつ安全に暮らせる地域になったもので、介護問題というものは本当に少なくなった。

 私は、「自動運転」の車で訪問診察にえっちらおっちら行っているが、地域のなかで自分が果たせる役割があることが生きがいになって、それなりに元気で診療している。

 訪問診察エピソードは60回目になりました。これで、どっとはらい。


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