終末期もどき  

27.終末期もどき  

 中田内太郎さん(仮名)にはじめてお会いしたのは、A有料老人ホームで、「サクセスフルエイジング・脳強貯筋」というタイトルで話をした時でした。当時は99歳でそのホームでの最高齢者ということでした。施設の職員に促され発言されました。何を質問されたかは覚えていないのですが、すごい変化球の質問だったことは覚えています。

この有料老人ホームには、以前在宅ターミナルケアの学習会の講師をたのまれ、月に一度ずつ半年以上間継続したことがきっかけで訪問診察を依頼されるようになりました。

 中田さんは、B病院に大動脈弁狭窄症、洞不全症候群で通院されていました。洞不全症候群に対してはペースメーカーが埋め込まれています。大動脈弁狭窄症は重度ですでに何回か失神発作を起こしており急死の危険性が本人、家族、施設の職員には伝えられています。中田さんは通院困難ということで、私の訪問診察を希望され2006年からお伺いすることになりました。外来カルテの現病歴を振り返ってみれば、「あと半年で100歳」と書かれていました。上記の疾患以外に睫毛内反があり、訪問診察時に抜毛を依頼され行くたびに抜いています。また鼠径ヘルニア、慢性腎不全なども認めています。口癖のように飯が美味しくないというので試しにラコールを処方したら喜んで飲んでおられました。時に失神発作を起こし一度などは訪問診察の日で、そのホームにちょうど到着したら救急車が横付けされており中田さんが失神発作でまさに救急搬送されるところにであったこともあります。

 さてこの中田さんが食事摂取量が落ち、元気がなくなり、意識が遠のくことも多くなったことがあります。施設では、終末期だと思ったのか、家族を呼び主治医の私からの病状説明の場が設定されました。その場で施設から示されたのが 看取りに関する指針と看取り介護についての同意書でした。私は、「食べられなくなっている現状は、本当に食べられなくなってきているのか、脱水や感染症などによる一時的な症状なのかのどちらかだろうがすぐには決めかねることです。血液検査をして、点滴をしてしばらく様子を見ましょう」と話しました。その上で看取りに関する指針には賛同して署名しました。家族は看取り介護についての同意書にサインをしていました。血液検査では、いつもは40台のBUNが60近くまで上昇していました。電解質異常や炎症反応などはありませんでした。点滴を連日続けたところBUNが以前の値に戻り、遅れて食事摂取量がもどりさらに遅れて一ヶ月後にほぼ元の状態の戻りました。BUNの値の次に戻ったのが弁舌だったのは中田さんらしいとみんなでうなづきあったものです。中田さんは結果としては終末期ではなかったということです。非がん疾患の終末期の判断は難しいとつくづく思ったものです。最後に中田さんが書いた詩を紹介します。「たったひとつの命だから 大空に向かって万歳万歳と天を仰ぐ今日の空まで」


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